在宅介護における家族の負担
この問題は高齢者の介護に関わらず、最近ではヤングケアラーの問題などでもマスコミで特集している記事を目にするようになりました。介護における家族の負担においては、一言で片づけられる事案は少なく、長い時間の間にいかに家族の負担を軽減、或いは分散していくかを考える必要があると思います。
過酷な在宅介護の果てに
寝たきりだった92歳の母親の首を絞めて殺害したとして罪に問われている61歳の男の裁判で、検察側は懲役8年を求刑しました。被告(61歳)は、一昨年に自宅で母親(当時92歳)の首をひもで絞めて殺害したとされています。東京地方裁判所で開かれた裁判で、検察側は「経済的困窮から無理心中を図ろうとした」「母親は殺害を依頼できる状況になく、被告も認識していた」と指摘しました。
先日、テレビを見ているとこのようなニュースがありました。事件当時のことは覚えていませんが、被告と母親の年齢的な関係が我が家と似ているので、とても他人事とは思えません。
もちろん、いかなる理由があっても自分の親をあやめるなどということは許されませんが、自分がこの被告と同じような心境にならないという保証は一切ありません。
私自身も現在は一人で母親を見ていますが、心の中のどこかに「誰にも頼ることは出来ない」という思いはあると思います。
介護の負担を分散すること
親族との話し合い
先述した事件では、兄弟がいたけれども支援はなかったと言うような記事もありました。私も姉がいますが、遠方なこともあり何らかの支援というのはありませんし、こちらから望んだこともなく現状が当たり前の状況であると考えてきました。
しかし、その思いが強いほど心の疲弊は募るばかりではないかと思いますし、誰かに相談できれば良いですが、なかなか一歩が踏み出せないのが正直なところです。とは言え、誰にでも自分の生活が一番大事ということは当然のことであり、そこに義務や強制があるわけではありませんが、結局最後は親族が何らかの形で見ることになるとは思います。
介護サービスを利用する
先ずは、これが一番先行することだと思いますが、ケアマネージャーさんへ相談したり、地域包括支援センターへ出向いてみるのも良いかも知れませんね。
ただし私の経験上、介護サービスにおいては、介護してくれる人との相性や好き嫌いがあるかも知れませんので、本人がきちんと納得できているか、本人が望んだサービスであるかということを知っておいたほうが良いと思います。
いくらこちらがサービスを受けさせてあげても、本人が納得できていない場合、例えば食事の介助ですと「この食事は美味しくないから食べたくない」などと言うことがあるかも知れませんし、デイサービスに行っても「自分には合わないから行きたくない」と言うことがあるかも知れんませんので、サービスを受けることが返ってストレスになる場合もあるのではないでしょうか。
そういう意味では、きちんと本人にフィットする介護サービスを受けさせてあげることが、介護の分散への道筋になることは間違いないと思います。
本人にも出来ることはやってもらう
これは、寝たきりなどの場合は出来ることが少なく、人によって出来ることの差が大きいので一口には言えませんが、在宅で付きっ切りで生活をしているとどうしても上げ膳据え膳になってしまい、出来ることは自分でするという自立的な気持ちが薄らいでいくのではないでしょうか。
私の母は、まだ自分で出来ることが多いので、出来るだけ何かをしてもらうようにはしてますが、時間がないときなどは結局こちらが手を出してしまいますね。時間がないときでも、じっくりと見守りながら、やらせてあげることが大事だと思います。
AIなどの進歩で介護の分散が出来るようになるか
近年、AIや産業機械の技術進歩により、介護ロボットなどの記事を読むことが多くなりましたが、いずれは介護の負担を人間以外に頼ることが出来る時代が来るのでしょうか。
私の場合、もし作ってもらうことが出来るなら「朝、母親を機嫌よく起こしてくれるロボット」が欲しいです。まだ私が仕事に行っているときに、毎朝見守りカメラで見ていると、朝10時頃まで寝ていて朝食が遅く、昼食介助サービスの人が来ても、殆ど食べられていないということもありました。母の場合は、一日の時間の使い方がうまくいかない日があるようですが、これも一種の認知症なんですかね・・・。
家族の負担はどこまでが犠牲と言えるのか
仕事と介護の両立
私自身は、約1年ほどは仕事をしながら母親の介護と3食の用意、家事のほとんどをやってきて、まだまだやれると思っていましたが、母がその私の姿を見て悲しむようになり、離職することを考えるようになります。
それ以前も「仕事と介護の両立」と言うのはありましたが、まだ母親が洗濯や簡単な料理を作ってくれることもありましたので、特に負担を感じることは無かったですね。ところが、突然母の視力が低下して以降は何もできなくなり、目が見えにくいことで動くことが少なくなることが原因だと思いますが、歩くことも少し大変になりました。
そして、トイレと風呂に介助が必要になったとき「これはきついな」と思い、仕事を一旦やめることにしました。以前、ケアマネージャーさんに「仕事をしながら自分で介護できるのは、どれくらいの時まででしょうか」と聞いたことがあります。すると「排せつと入浴に手がかかるようになると大変だと思います」と言われましたが、その通りだと思います。
お互いにストレスがかかる
介護が必要なくて、どんなに仲の良い親兄弟であっても、お互いにストレスがかかることはあります。それが、いつの日からかどちらかの介護が必要になった時に、どれくらいの理解が必要になるかはそれぞれだと思いますが、少なからず犠牲が発生することは仕方がないことだと思います。
仮に経済的には全く問題がなく仕事をせずに在宅介護が出来るとしても、自分でやりたいことをする時間は少ないと思いますし、精神的にも体力的にもそこまで手が回らまい場合が多いのではないでしょうか。
私の場合も、以前はゴルフや魚釣りなどアクティブな休日を送ることもありましたが、いつのまにか行かなくなり、人付き合いも減っていきました。今では家で出来ることは何かと考え、自宅で筋トレを楽しんだり、しばらくの間やめていたお酒も嗜むようにしています。
それでも、母の何気ない言葉に声を荒げてしまうこともありますので、どこかにストレスを感じながら生活しているのは間違いないと思います。
お互いの信頼関係
先ず介護をしていて感じることは、家族が介護する場合はお互いの信頼関係がなければ成立しないと思います。在宅介護の場合は、四六時中一緒に生活するわけですから、何気ないことでも腹が立ったりすることがあるかも知れませんし、言わなくて良いことをついつい言ってしまうこともあるでしょう。
そういう時でも、お互いを許せる関係でなければ不満が募っていき、必ずどこかで爆発する可能性は高いのではないでしょうか。
負担を感じない介護生活
先ず介護される側に、「今自分を介護してくれている家族に何かあると、自分自身もつらい思いをする」と言うことを理解してもらうことが大事だと思います。生活の中で何もかもしてあげるのではなくて、本人が「ああ、不便だなぁ」ということを感じる事を多少はあったほうが、お互いを理解する機会が増えるのではないでしょうか。
また、介護する人が出来るだけ自分のことを優先するような生活をすることで、精神的にある程度余裕が出ると思います。
例えば、食事のことを考えるときは、先ず自分の好きなものを優先して作り、そこから介護食に発展させるようにすれば、食事を作るという手間に対しても前向きになれると思いますし、少なくとも私はそうしています。
また、2週間に一度くらいですが、母の昼食だけを作って食べさせたあと、昼寝をしている間に駅前のサイゼリアで自分時間を楽しんでいます。
とは言え、現実的には厳しい世界ではあることは間違いありませんので、今後の介護サービスや地域の施策などが充実していくことを望むばかりです。